林入寺について
林入寺は静岡県島田市にある、曹洞宗の寺院です。
宗派 曹洞宗
本尊 聖観世音菩薩開創時は阿弥陀如来(あみだにょらい)
本山 大本山永平寺 福井県
道元禅師(どうげんぜんじ)
大本山總持寺 神奈川県
瑩山禅師(けいざんぜんじ)
草創 天台宗 智満寺末(島田市千葉254)
開創 慶長19年(1614) 一説には天正6年(1578)
開山 琴峰寿泉大和向天正10年(1582)
創立当初は元島田の地に阿弥陀如来を本尊として奉り、 島田市千葉にある智満寺の末寺として「仏田山隣祐寺」と 称して創建されました。度長9年(1604)島田の大井川の水害にあい、水除け堤防添の高地であった現在の地に移転しました。寺名も「隣祐寺」から「林幽寺」に改め、聖観世音菩産を本尊様として新たに奉りしました。
文政元年(1819)、大火の飛び火により、山門以外の諸伽藍を焼失してしまいましたが、その後まもなく再建された ものが現在の寺院です。
その後の大井川の洪水や安政の大地震(1854)、明治維新の激動 昭和20年(1945)7月26日の市内への爆弾投下など、様々な 荒波を乗り込えてきた。 明治維新になり山号寺号の文字を「仏殿山 林入寺」と改めてました。
伝説『林幽寺の薬梅(くすりうめ)』
寛保二年(1742)七月。天王村の林幽寺(今の祇園町・林入寺)の和尚さんは、ある夜、本堂の前に一本の梅の木が生えてきて、美しい花を咲かせる夢を見た。
翌朝、和尚さんが朝のおつとめに本堂へ行ってみると、夢に見た梅の木が、枝を下向きにして立っていた。
「夕べの夢は正夢だったか。不思議なこともあるもんじゃ」
和尚さんは、喜んでこの梅の木を大切に育てた。
ある年のこと。島田の宿に、流行病が出た。それは、たちの悪い風邪だった。たちまち宿場うちに広がって、どこの家でも病人をかかえて困り果てていた。
医者は大忙しで、病人みんな診るほど手がまわらない。
ある夜、和尚さんの夢まくらに、お寺のご本尊が現れて、
「和尚。宿場のみなの者が病で苦しんでおる。庭の梅の花と葉をせんじて飲ませるがよい。おそろしい流行病もたちまち治るであろう」そう言って、すっと消えていった。
夜があけると、和尚さんは宿場うちに夢のおつげを知らせて回った。
人々は、われわれもとお寺に押しかけた。(こんなに大勢やってきたのでは、間に合わん。たちまち花も葉もなくなってしまうわい)と和尚さんは心配していた。
ところが、とってもとっても、梅の花も葉もなくならない。(ご本尊の御利益じゃ)和尚さんは、手を合わせ、お経を唱えた。
梅の花と葉をせんじて飲んだ病人たちは、たちまち起きだせるようになり、流行病は梅の木のおかげでぴたりと収まってしまった。人々は喜んで、お寺にお参りしていった。
その後、この梅の木を「薬梅」と呼ぶようになったという。
鬼平犯科帳に登場
林入寺は池波正太郎原作の鬼平犯科帳に登場しています。
鬼平犯科帳 第一巻 第三話「血頭の丹兵衛」新装版p.116
火付盗賊改方による血頭丹兵衛捕縛に際して、粂八が最初に隠れていたのが、裏通りに面して立つ林入寺の山門。粂八は、ここから、盗人宿である煙草屋「三倉や」に探りを入れるべく、大久保川に架かる橋を渡っていった。現在の林入寺にも、なかなか立派な山門がありました。周辺落ち着いた感じの住宅街で、本通り側に大久保川の暗渠があります。